水の幻視 ~ナンバー278の幻視

益体もない「思索」と「おこない」の点描的記録

困難な議論

集団ストーカー言説への私の興味は、まだ費えていない。
そのようなわけで、時間に余裕のあるときには匿名BBSの残滓をあさるといったことを繰り返している。匿名BBSを過去ログも含めて調査することで、「被害者」と「アンチ」の動向を計量的に表せないかと考えているのだが、参照できるデータが膨大すぎるのと時間が取れないのとで手をつけられないでいる。


※集団ストーカー言説への批判者には、様々なスタンスがある。ここでは都合上、それらを十把一絡げにして「アンチ」と表現している。ゆえに、私自身も「アンチ」に入ってしまうだろう。



半年ほど前になるが、ここで集団ストーカー言説に触れたとき、私は次のようなことを書いた。


某巨大匿名掲示版やそれに類する掲示版群では、「集団ストーカー被害者は、精神病者だ。」「いや、集団ストーカー加害者は、被害者をして、精神病者じみた発言をせざるをえないような状況へ追い込むのだ。」といった水掛け論が続いている。[2005.12.25]


しかし、その後の観察では、必ずしも上記の通りではないことが判ってきた。集団ストーカーに言及したスレッドは、過去ログとして存在するものが多い。上記は、それらも含めて全体を観察したときに受けた印象なのだが、発言の日付をよく見てみると、定常的にそのような状態があるわけではないのだ。


2004年にはかまびすしかった「被害者」と「アンチ」のBBS上での応酬は、2005年から下火になり、2006年の現在では、かなり沈静化しているように見える。集団ストーカー騒ぎ自体が鎮まったというわけではない。未だ「被害者の主張」は続いていて、2chでもザ掲示板でも、内部検索をかけると生きているスレッドがかなりの数ヒットする。「アンチ」の発言が減っているせいで「被害者」の主張は、被害内容報告や、憶測の変奏と展開、また、創価学会や警察など「被害者」たちが陰謀の元締めと目する組織への批難に終始している。


むろん、上に記した集団ストーカー言説をとりまく状況は、局所を対象とした私的観察結果の域を出ない。ネットに溢れている膨大な量の発言をすべて読むわけにはいかないからだ。そんなわけで、「被害者」と「アンチ」の発言数の比を、過去ログも含めた複数スレッドにおいてそれぞれ計算し、時系列で並べてみたらどうかと考えたわけだ。もう少し厳密なやり方として、「被害者」「アンチ」双方の発言内容を、方向性や程度によって点数化し、その積算値を比較考量するという方法も可能かもしれない。いずれにしても時間が必要だが。


それはいずれやってみるか、あるいは誰かが似たようなことをやるのを待つことにして・・・・
数値による根拠は現段階では示せないものの、私が観察した限りにおいては「アンチ」の発言が減っているように見える──このことを前提にして、以下話を進めたいと思う。
もちろん、一つのテーマに関する議論が定常的に継続することなどありえない。集団ストーカー騒動は、どのような論争もが等しく辿る盛衰の道を歩んでいるだけだと見ることもできるだろう。
ただ、推論の積み重ねにはなってしまうが、私はそこに「ちょっと違う匂い」を感じるのだ。


掲示板に書かれている被害談は、いずれも統合失調症や他の妄想性障害の病者が語る内容に非常によく似ている。それらにも当然スペクトル分布はあるわけで、他者から監視や尾行をされているといった在りえなくはないものから、生活音や自然音を嫌がらせや攻撃と解釈するもの、あるいは特殊装置によって自分の思考が読まれるといった荒唐無稽なものまで多くを含んでいる。しかし、いずれもがありふれた精神疾患の解説文を眺めれば簡単に見つかるような話で、被害妄想としては典型的なパターンである。
オッカムの剃刀を使えば、このような発言に明け暮れる「被害者」の大半は、被害妄想を伴う病的状態に陥っていると判断するのが妥当であろう。(公平を期すために書いておくが、それは集団ストーカーという事象自体の存否には、決定的な影響をもたらさないだろう。)


私が感じている「ちょっと違う匂い」とは、「被害者」側の主張が長期にわたって比較的定常的だということである。有体に言えば、同じ話が延々と繰り返されるばかりで倦むことがない。批判を受けても、被害訴求を主とするあまたの言説は総体としては変形しない。


一つだけ、時間的に変化してきているなと思えるのは、集団ストーカーの犯人と目される組織が、例えば創価学会など、いくつかの組織に絞られてきているということだろうか。あるBBSのスレッドでは、集団ストーカーへの言及よりも創価学会批判がメインになってしまっていたりする。誰が何のために自分を攻撃してくるのか判らず悩んでいた「被害者」に、明確な「答え」が与えられ、そこに共通の敵を持つコミュニティが形成されたことをそれは示している。肯定的言説のみを取り込んで、支流は大河へと合流するわけだ。


※これも局所的な見方かもしれないが、BBSの過去ログをいくつか読む限りでは、2004年ぐらいまでは「誰かわからないなぞの集団から、意味不明の攻撃を受け、混乱に陥っている」という発言が多かったように思う。「被害者」たちが一様に特定団体を名指しするようになってきたのは最近のことではないだろうか。


しかし、その「変形しにくい言説の強固さ」そのものが、妄想らしい臭気の根源でもある。
「アンチ」は堂々巡りする言葉の応酬にすぐ倦んでしまって、結果として議論に勝てないのだ。「倦む」ということは、精神的健全のバロメータなのかもしれない。抗力に打ち勝って自らを屹立させ続ける強度という面では、妄想には遠く及ばないのだ。



いや、そもそも、このような場合議論は可能なのだろうか。


「アンチ」には様々な立場があるということを冒頭のほうで書いたが、匿名BBSなどでの発言の端々には総じて妄想的言説に対する嫌悪が見え隠れする。嫌悪が混じってしまうと、批判はフェアにはならない。しかも「被害者」は、そのことにはきわめて敏感だ。批判者の発する嫌悪の匂いを嗅ぎ取ってしまうと、「被害者」はより頑なになり、自らの思考の中に閉じこもってしまう。


一時期テレビ局はこぞってパナウェーブという団体を取り上げた。あの団体の主張(特に教祖の発言)が、統合失調症の病者のそれに類似することは、ちょっと知識のある人にならすぐわかるだろう。知的に高いレベルにあるはずのマスコミ関係者(特にプロデューサーレベルの人)の誰一人としてそれに気づかないなどということは考えられない。おそらくマスコミ関係者たちはそういうことを知った上で、あの団体の「奇妙さ」「気味悪さ」を強調し、視聴者の嫌悪感を煽ったのだ。もちろん人権問題で糾弾されない程度に。
そういう「嫌悪の煽動」は、残念なことに自らを健全と信じる民衆の共感を呼びやすい。


異質なものへの嫌悪感は誰にもあるものだ。私自身もそれを否定できない。
このことは、かつて集団ストーカー被害者の心性について書いた際にも言及したが、同様のことは「アンチ」の側にも言えるだろう。


もう一つ。ネットにおいては、相手の自己申告を前提にしなければ議論できないという問題がある。相手の自己申告を議論の中で否定してみても、現実的には検証しようがないのだから、推論の域を脱することはできない。相手の申告を否定する推論を押し付けるわけにはいかないのだ。
集団ストーカー論議においては、「被害者」は「アンチ」を「工作員」と見なすケースが多く、言うまでもなくこれこそ「否定的推論の押し付け」に他ならない。しかし、「アンチ」にはそれに対抗しないストイシズムが要求される。否定的推論をするのはかまわない。しかしそれを腹の中に収めて進めなければ、議論は不毛なフレーミングに終始してしまうだろう。



少なくとも議論の前提としては、上記のような相手に対する嫌悪感や否定的推論押し付けの排除といったことがまずもって必要である。
しかし、それでもだ。本当に議論は可能なのだろうか。


「アンチ」で、揶揄や茶化しとしてではなく、真摯に「被害者」への批判を試みる人の多くは、集団ストーカー言説が統合失調症などの精神疾患から生じる妄想である可能性を指摘している。それなりに精神病についても勉強しているのだろう。
しかし、勉強したのならば、統合失調症の病者に向かって正面から「君の話は妄想だ」と告げることの無意味さや、あるいは危険性についても知っているはずだ。ケースにもよるが、精神科医は、病者が切々と訴える妄想を強く否定するということをあまりしない。病識のない病者をかえって頑なにさせ、治療を困難にしてしまう可能性があるからだ。つまり、「アンチ」という立場で「集団ストーカー被害者」に対峙する場合、相手が統合失調症に罹患していると考えるのならば、それをストレートに指摘することはできないということだ。


ここにはすなわち・・・・


相手の言説が統合失調症(等)の妄想によるものである可能性が高いことを、ネットを通じて当人に納得させることは、相手が精神的健常者であるときに限り可能である。


という原理が横たわる。もちろんこれは矛盾である。
つまり、もし「被害者」たちが、「アンチ」の多くが想像するような病者であるならば、議論による説得は原理的に不可能なのだ。
それが、BBSでの議論で「アンチ」たちが敗れて撤退していく理由ではないのか。


以前にも書いたようにこの現象をMeem伝染病だと考えると、当のMeemはきわめて巧妙な生存戦略を展開していると言わざるをえない。
このような現象が進行していることを世のほとんどの人は知らない。このMeem感染を未然に防ぐためには、皮肉なことに「被害者」たちの望みを叶えて、現象自体をもっと世に知らしめることが必要なのかもしれない。
ただし、そのためには、この現象を正しく分析し、ニュートラルな状態にある一般人をして集団ストーカー言説に対するリテラシーを高めるような情報発信サイトが必要だろう。BBSで「被害者」たちと議論するのではなく。キーワード検索でそういうサイトが上位に複数ひっかかるようになれば状況は多少改善するに違いない。
現段階では、そのような正しき「アンチ」による情報発信サイト(vaccine site)は、まだまだ少ないように思う。



補遺1:集団ストーカーの歴史に関するメモ
集団ストーカーに関する言説はいったいいつごろから登場したのだろう。
サブカルチャーへの言及で一時代を築いた「別冊宝島」の旧タイプには、
「(281)隣のサイコさん」(1996.11.3)
「(356)実録!サイコさんからの手紙」(1998.1.3)
などの、精神疾患の世界をサブカルのイメージで紹介した号がある。
前者には、盗聴器発見業者を取材して「サイコな依頼者たち」に言及した記事がある。「依頼者」の談話はまさに集団ストーカー「被害者」のそれと同一である。この時代に集団ストーカーという言葉が存在していたら、間違いなくここで使われたであろう。
後者には、「組織犯罪としてある見えないテクノロジーによる被害者の会」で有名な石橋輝勝氏への取材記事か載っている。このとき氏はまだ市会議員になっていない。しかし精力的に活動していた様子が伝わってくる。
集団ストーカーという言葉自体は比較的新しいものだろうが、同様の「被害者」は昔から存在していることをうかがわせる。これが何を意味するかは敢えて書くまでもなかろう。


補遺2:思考盗聴
ヒューマン=マシンインターフェイスの進歩は著しい。2005年11月に放映されたNHKスペシャル立花隆最前線報告 サイボーグ技術が人類を変える」や、2006年4月に放映されたプレミアム10立花隆が探る サイボーグの衝撃」を見た人は多いだろう。
さほど遠くない過去には、神経系と機械とを接続するのは不可能だといわれていた。しかし、今では極めて初歩的ながら機械で観取した映像を電極を通じて脳に認識させることが可能なまでに技術が進んでいる。
私は「SF者」だから、ここまできたら本物以上に高性能な義眼・義肢・義手などが登場するのも時間の問題だろうと考える。
ポイントはヒューマン=マシンインターフェイスにある。思考盗聴を主張する者たちの多くは、インターフェイスを経ずして電磁波が脳細胞に直接作用しうると考えている。それは彼らの「体感」なのだから仕方がないのかもしれない。しかし、もちろん電磁波である電波は細胞に直接作用しないし、電磁波である可視光はそもそも頭蓋を透過できない。
脳内の状況を電波などで体外に発信できたり、あるいは外部の情報を電波を通じて受け取ったりできるインターフェイスもいずれできるだろう。しかし、人類が「思考」の過程を解析できない限り、インターフェイスを通じて脳から発信された情報から、映像や言語やその他の感覚の総合物としての「思考」を再現することはできないだろう。もちろん、人間のことだから、それもいずれは解決してしまうだろうと思うが。
おそらくそのころには、統合失調症を駆逐する技術も完成しているに違いない。