水の幻視 ~ナンバー278の幻視

益体もない「思索」と「おこない」の点描的記録

かくて世は陰謀にまみれたり 〜2〜


(この文章は「かくて世は陰謀にまみれたり 〜1〜」の続きです。できれば〜1〜からお読みください。 )



このブログで私が何回か取り上げた“集団ストーカー言説”も、陰謀論によく似ている。真っ向からの批判者が少ないという点も同じだ。
ムーンークス説などと若干違うのは、“集団ストーカー言説”を唱える著名人や書物が今のところ国内には存在しないということだろうか。だからことさら大きくは反論されないということかもしれない。
精神医療関係の専門家はともかくとして、社会学関係者などはもうそろそろこの問題に目を向けてもいいような気がするのだが、どこかで研究はされているのだろうか。・・・・


ちょっと検索しただけでは、アカデミー系またはジャーナリト系の専門家が、社会現象としての集団ストーカー言説についてコメントする──などといった場面には出くわさない。
集団ストーカーなど、言葉(概念)自体知らないという人が大半ではあろう。あるいは存在は知っていたとしても、詳しく調べてもいないこと(詳しく調べてみようと思うほど興味の惹かれないこと)については論評しないという良識的スタンスが支配的だということかもしれない。


また、集団ストーカーというのはムーンホークスなどと違って、明らかな(つまり科学的に検証可能な)誤謬というわけではない。──というのも論評されにくい理由かもしれない。
「神経衰弱」「パラノイア」「統合失調症」・・・・・・という具合に考えられる原因を挙げていったとしても、最終的には「実際に発生している被害」を消去するわけにはいかないからだ。
「集団」という語の付かない「ストーカー」に関しては、警察をはじめ周囲の人が被害者の訴えをきちんと聞かなかったことによって悲劇的な結末を招いたという事例があり、我々はもちろんそのことに対して鈍感であってはならない。


そのことを一旦噛み締めた上で。
精神的疾患のせいで脅迫観念に捉われていると思われる少数の「被害者」が、掲示版群やブログに大量の書き込みをしたりスパムをばら撒いたりしているという現実があるとはいえ、それだけではYahoo!Googleでひっかかってくる集団ストーカー言説のヒット数の異常さを説明はできないだろう。
集団ストーカー言説は、少なくともWeb上では様々な見地から社会現象化していると言えるように思う。インターネットの世界ならではの“現象”であるがゆえに、新しくもあり、興味が尽きないのだ。


冒頭で取り上げた副島氏や、ゲーム脳理論で名を馳せた日大文理学部森昭雄氏は、いずれも自分の得意分野で名を成した人であり、その点では“強者”といえる。書籍を出版している人がすべて強者だというのはやや強引だが、と学会が取り上げるような書籍を書いている人の多くは、少なくとも自分の著作を出版させることに成功した人たちであり、我々が考える“名もなき大衆”ではない。彼らの陰謀論は、ゆえに“強者の陰謀論”といっていいだろう。


しかし、集団ストーカー言説は、そのすべてがインターネット内において匿名で語られているというのが大きな特徴である。“弱者の陰謀論”なのだ。
これはインターネットを通しての言説同士の“共鳴”という形で拡散した。「噂が広がる」のではなく「自分が被害者」だと主張する人が交感しあいつつ広がっているという点で都市伝説とも異なる。私は今後このバリエーションがいろいろ出てくるのではないかという予感を持っている。


(この文章はさらに次に続く)